僕の初めて生まれた子どもが水頭症という病気だったんです。その子が亡くなったのをきっかけで。日本ではそういう病気はないんですけど、原因不明なんですね。何が悪くてそうなったというよりは、何かの遺伝子の関係間違いでそういうことになると聞いています。
自分の息子が運悪くそういう病気を抱えて生まれてきちゃって、結果的に3年ぐらいで亡くなってしまった。非常にショックでした。涙も枯れるぐらいに泣きました。
この悲しみを抱えて、何かできないかなと考えたんです。お陰様で自分はフィリピンで事業をさせてもらっている、それでお金も得ることができました。少しでもそれを子供たちにを考えたんです。そういう子どもの病気を持った子たちがフィリピンにも一定数いて、そういう施設に対して毎年、自分の収益の一部を寄付しているんです。それで川尻ファンデーション(寄付団体)というのがフィリピンにもあって、そういう寄付団体みたいなことをやるのがきっかけで、各病院とか施設みたいなところとつながっていったのがあります。
Interview
インタビュー
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働き者の職人の父親の背中
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サッカーに明け暮れた少年時代
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怪我でサッカーを諦め、美容師修行で得たものとは?
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とにかく量をたくさんこなす美容師時代に感じたこと。
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歳上の部下をマネージする難しさに 悩む店長時代
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ハサミ一本で海外で勝負をしようと決める。
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ビビッ!ときて、3 日後にはフィリピンへ出陣。
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フィリピンでの美容師として勝負。そして挫折。
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フィリピン在住の事業家として、次は何の事業をやるか?
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現地の人にまわりの人に認められる事業をやろう。
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どうして小児医療への寄付をはじめたのか?
18 どうして小児医療への寄付をはじめたのか?
ちょっとビジネスの側面から視点を変えます。フィリピンの小児医療のほうに結構貢献をやっていますが、それはどういう考えの下で。
川尻
お子さんが水頭症という病気を持って生まれてきてという出来事で、川尻さんが子どもの医療とか、水頭症の子どもたちに何かを向いたきっかけだと思うんですが、その前、川尻さんはそういうものに興味があった?

川尻
興味がなかったわけではないですけど、きっかけがなかったというか。自分が実際にそういう場面に直面して、経験して、そういう気持ちになったというのがあります。
それは今でもフィリピンのほうにはファンデーションがあり、そこで水頭症の子どもたち対する活動は、今も収益を寄付していらっしゃる。
川尻
1年に2回ぐらいは、やっています。