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Interview
インタビュー

12 迷いの中で、フィリピンの不動産ビジネスに光を見る。

1年ぐらいたって、「これをやろうかな」の「これ」は、どこで気付くんですか。

川尻

今もそうですが、自分は結構、不動産を見るのが好きだったんです、当時も。現地にあるプレビルド、プレセーリングという不動産の物件を売っている会社が当時はあって、プレセールというのは何もない土地だけデベロッパーが抑えていて、そこに有名なデザイナーとかブランドが、「4年ぐらいかけてここにコンドミニアムを建てますよ」と言って、そのショールームと将来こんなものが建つという映像を流して売っているという手法があったんです。

先に売っちゃうんですね。

川尻

そうです。4年経つ前に売り切って、それを当時、毎月4年ぐらいかけて建てていくんで すが、大体毎月 3 万円ぐらいを4年ぐらい積み立てていくと、最後に銀行融資とかデベロッパーローンというローンを引いて、自分の持っている残金を払い込んで、その物件を自分の所有権に持ってきます。外国人が唯一不動産で所有権が持てる方法が区分――コンドミニアムとかマンション投資だったんです。
これであれば毎月 3 万円ぐらいだったら、日本の人でも普通に、ちょっとぜいたくは我慢すれば買える。日本の不動産投資だと頭金もないと買えないし、与信が通らないとローン も組めないというのが不動産投資です。だけど、当時フィリピンには毎月積み立てて、それができたときに家賃収入を得る。そして、その物件を増やしていくという手法があったんです。
それが今はもう制度も変わっているのですが、月々3万円ぐらいからユニットが持てる。かつ、建ち上がる4年までの間に2回だけ転売してもいいという契約になっていた。ちょうどその 10 年の間にフィリピンも毎年6~7%ぐらいは GTP で成長していたので、その数字を見たときに、当然自分は利回りの「り」の字もわからない状態ではあったんですが、これは自分も欲しいと思ったし、これで不動産が持てるなら、日本でもニーズがあると思って配信しだしたんです

川尻さんはそのときに、英語力的に今のを自分で理解したということですか。フィリピンで調べて。

川尻

そうです。当時、英語ももちろん現地のタガログ語も全くわからなかったので、自分で本を持ちながら勉強してしゃべっていました。

タガログ語も今は多少話せるということですか。

川尻

今も多少はしゃべれます。

生活していく中で覚えざるを得ない。

川尻

そうです。覚えていきますね。

なるほど。その月 3 万円のやつで、これはビジネスになるな。日本に売ればいいなとなって、さっき「発信していた」という話だったんですが、それはネットで情報発信を始めていた?

川尻

当時 mixi という SNS があったんです。それを自分もやっていて、そこで「今日はこういう物件を見に行きました」とか「これはこういうふうに買えます」みたいなのを自分で勝手にブログを書いていたんです。

日記的な。

川尻

はい。それを見た、たまたま大阪の不動産屋の会長さんがアポイントを。「来週フィリピン に行くんだけど、その物件を見せてくれないか」みたいな感じで言われて、本当に来たんです。その人は不動産のプロなので、自分が分からないことは分からないとはっきり言いながら、「でも、これはすごく面白い手法だと思うし、フィリピンの成長はこれぐらいだし、フィリピンのポテンシャルはこれぐらいある。英語もしゃべれて、アジアにこういう位置にいて、平均年齢が 24 歳で」みたいなことをプレゼンしたんです。
そうしたら、まとめて何十件か買ってくれたのです。その時に手数料を取れたんですね

どーんと。

川尻

そうです。それが一番初めのビジネスでした。

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