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Interview
インタビュー

10 フィリピンでの美容師として勝負。そして挫折。

川尻

これが結構読みが違っていて、僕なんか日本でもう6年7年選手なので、スタイリストの中でもトップスタイリストぐらいの位置には入っていたんです。だから、カットで言うと 6000 円とか 7000 円とか、いい VIP のお客さんだと数万円ぐらい取れていた。それが東南アジアに行くと、笑っちゃうんですけど数百円ぐらいにしかならなかった。

えーっ、1人ですか。

川尻

そうです。「払って」と言ったら払ってくれるとは思いますけど、当時のフィリピンと今のフィリピンはちょっと違っていて、まだそんなに高級車も走ってない。トヨタとかのすごいボロボロの車とかが走っているような街並みで、タイのトゥクトゥクみたいなのがずっと走っているような街並みで、日本の 30 年前にタイムスリップした感じだったので、カットに対して何千円とか何万円って、そんなはずないでしょうぐらいの感覚です。技術力というものをお金として評価しない時期だったから。

なるほど。髪を切るという作業賃というか。

川尻

はい。そうです。そこが僕の計算違いだったところで、いいものを持っていって高級なものを提供したら、お金を払ってくれる人がわんさかいるだろうぐらいの甘い見立てをして。だけど、そんなに甘くもなくて、それが読み違いだったということです。

となると、普通は帰ってくると思うんです。普通は。これは読み違いで数百円だ。もう駄目だ。じゃあ日本に戻ろうかとなると思いますが、そう感じて川尻さんはどうしたんですか。

川尻

僕は、せっかくこうやって来て......。フィリピンの物価は日本の 10 分の1ぐらいです。だから日本で 25 万円生活にかかるとしたら、2万 5000 円ぐらいで生活ができちゃうんです。なので、数百円のカット賃だったとしても生活コストの 10 分の1になっているので、逆に言うと生活はできちゃうわけです。

フィリピンの中では。

川尻

はい。ぜいたくはできないですけどね。こうやってみんなにも宣言して出てきて今帰っちゃうと、ほら言っただろやめとけと、言われる。これは結果を出して帰らねばというの が自分の中にはあって、どうしようかみたいになって、今までの自分の二十何年間の人生を振り返って、一番の「どうしていいかわからない」時期に入ってしまいました。

でも、なりますよね。

川尻

はい。一人で、こんな 28 歳で、フィリピンにハサミを持って来ちゃったけど、何しに来たんだっけみたいに我に返ってしまうわけです。だけど自分が成功したい。それはお金持ちになりたいとか、どうのこうのではなくて、何か結果を出したいというところにすごく当時は執着があった。なので、ここで帰ってしまうと普通になってしまうので、何かできないかなというのをずっと1年ぐらい、働きながらですが、お金が尽きるまでやっていきました。

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