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Interview
インタビュー

02サッカーに明け暮れた少年時代

サッカーで、特待生で高校に入って、どこまでがサッカー選手になろうという考えでしたか。幾つぐらいまで。

川尻

実は、あるチームのプロの試験も受けて一応通ったんですけど、最後、靱帯(じんたい)を運悪く痛めてしまって。本当にプロ一歩手前までは行ったんですけど、それがきっかけでサッカーをもう終わりにした。

けがですね。ちょっと悔しいですね。

川尻

悔しかったですね。

ちなみにポジションはどこ?

川尻

中田英寿選手とか本田圭佑とかと一緒でミッドフィルダーです。

トップ下。

川尻

そうです。ゲームをつくるところの箇所。守りもするし攻めもするみたいなポジションでした。

結構技術的に自信があった感じですか。

川尻

何にたけていたのかで言うと自分でもわからないですけど、キャプテンとか副キャプテンを小学校から結構ずっとやっていたので、どっちかというとチームをまとめたりするのが好きだったのかもしれないです。

それは自分から「やります」と言わなくても、監督とかからやってくれという。

川尻

そうです。監督とかから指名されていました。

そうすると、小学校のときから結構リーダーシップはあったほうですか。

川尻

自分ではほんとに全く意識していなくてわからなかったんですけど、いつもそのポジションにはいましたね。学級委員長、副委員長みたいなところに結構いました。

結構真面目ですか、小中は。

川尻

割と真面目に学校は行っていたと思います。

部活は熱心にやっていて、キャプテンになれるぐらいだから勝とうとか強くなろうというのも結構強く持っていた?

川尻

負けず嫌いではあったと思います。

もちろんキャプテンなら、練習をサボったりしない感じですよね。

川尻

そうですね。勉強は本当に苦手で全然駄目でした。バランス悪いですけど、サッカーとかやりたいなと決めたことは、結果を出してきたと思います。

よく部活でも、熱心にやる人たちと、サボりがちというか、正直勝っても負けても、みたいな部員もいると思うんです。川尻さんはキャプテンとして、勝っても負けてもみたいな人たちを、その当時どう見ていましたか。

川尻

僕が勝ち負けにはすごくこだわるタイプだったので、そういう人たちに対しては自分の立場上、彼らのモチベーションがどうやったら上がるのかは常に意識して、チームワークをとっていました。試合に出てないとか技術が足りない部員に対しても「辞めちゃえば?」と言うのは簡単ですけど、その前に、どうやったらその人が自分と同じ方向で目標をかなえていこうと思えるか、常にそういうステップは踏むようにしていました。

中学高校ぐらいのそういう考え方は、どなたの影響ですか。

川尻

でも、何かそういうときに本を読んだとかいうのもないですし、何に影響されていたのかというのは、ちょっとわからないです。ただ、そういうところが、逆に監督とかコーチとかに、おそらく認められていたんでしょうね。

当時、お兄さんはどれぐらい年齢が離れていたんですか。

川尻

一番上は7つ、真ん中は5つ。

3人兄弟の末っ子だったら結構甘えん坊ですか。そうでもなかったですか、子どものときは。

川尻

うちは親が離婚しているんです。小学校4年生のときに親が別居しだした。だから甘えるということは、あまりしたことがないです。周りの目を、すごくその当時は気にしながら生きていたかもしれないです。

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